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いやー!よくまとめられましたね!素晴らしい👍🎉
ありがとうございます😊
明けましておめでとうございます。奈良、京都へ行きたくなる動画でした。先日鳥取、島根と行ってきましたが何回も何回もここの動画見てから行きました。大変参考になりました。出雲への愛を多大に感じる上、為になる動画いつもありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
明けましておめでとうございます。そんな風に言っていただくと、大変うれしいです😊こちらこそ、よろしくお願いします🌸
本年もよろしくお願い申し上げます。かも氏....深いですよね...沼ってます^^
本年もよろしくお願い申しあげます😊カモ族の追っかけをしてしまいました💦なぜなら、切なさを感じたからです。いつもありがとうございます😊嬉しいです🌸
知らず知らずに導かれ、金剛山麓の美しくも大らかな氣に満ちた神社に昨年末参拝しました✨拝見してそうだったのかと染み染み思いを馳せます🙏✨今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます🤲
金剛山麓の神社、いいですね😊今年もよろしくお願いします🌸
明けましておめでとうございます。益々国津神の御神徳が強くなってきていますね。ありがとうございます。
明けましておめでとうございます。良い運気をもたらしますね😊いつもありがとうございます😊嬉しいです🌸
高天原からの眺めは天上界からの神々の視界のような錯覚を覚えます、、、そのような場所なので、後からつけられた地名かと思っていましたが、元からそうだったんですね、、、、高鴨神社から山側は空気感が違います。あの辺りに住まわれていた出雲族の人々は、どれだけ穏やかに暮らしていたのだろうと想像して、外は寒いですがホクホクしています、、、いつもありがとう!
共感です!高天彦神社参拝に参ったときに、その眺めをおっしゃるとおり、天上界からの神々の視界のような錯覚を覚えました。空気観違いますね😊🌸穏やかな世界です。天の国を思いました。いつもありがとうございます😊嬉しいです🌸
@@irisyell6626 さまこちらこそありがとうございます!!
大変勉強になりました。もっと、動画をUPしていただければ有難いです。ありがとうございました。
頑張ります!ありがとうございます😊
お待ちしております。
@@akisasaki2200 様😊
🙏🙏🙏
こんばんは!嬉しいです!😊🌸😊🌸寒い時です。お体にお気を付けください。ありがとうございます!
@ さん、いつも素敵な投稿を有難うございます。
あけましておめでとうございます。賀茂御祖神社ありがとうございます😊
明けましておめでとうございます!今年もよろしくお願いします🌸ヤタガラスですね😊
賀茂家の歴史こそ日本史の縮図となります。雄大なトキの流れをありがとうございます♪そうなんです。戦争によって人々が入り交じり、溢れ出て、新しい時代が始まります。出雲口伝でも、著者により微妙にお話が違います。この謎解きをするのもまた、楽しい時間です。いつ、ヤマトから賀茂氏が山城に移ったか…【出雲王国と天皇政権】は元々、【出雲王国とヤマト政権】と言う題で富士林雅樹氏の著作でしたが、おそらく、斎木雲州氏の後継者でしょうね。この富士林さんの本ですと、【大田田根子】と【大賀茂津身】が同世代のように記されています。山城へ移ったのはこの大賀茂津身で、このお説ですと、第一物部東征時に移ったように見れるのですが、勝友彦氏の【魏志和国の都】によりますと、大賀茂津身は第二次東征時の登美家(賀茂家)の当主なんですね。3世紀です。第二次東征につきましては、この【魏志和国の都】に詳細な記録が描かれています。ここに矛盾があったので、探っていったのですが、この部分は勝さんの方が筋が通る気がします。何故なら、三輪家に残された系図と勝さんの記述が合致するからです。クシヒカタ以前を書きますと、説明が長くなりますので、今回はクシヒカタから記述します。天日方奇日方命 |飯肩巣見命 |建甕槌命 |豊御気主命 |大御気主命 |阿田賀田須命建飯賀田須命 |大田田根子命💜 |豊御気持命 |大鴨積命❤→賀茂家大部主命💛 |大友主命💛→三輪家となります。勝氏によれば、第二次東征で磯城王朝は三輪山を占領され、大王家も登美家も太陽の姫巫女もヤマトを追い出されます。登美家の当主であった大賀茂津身は山城へ逃れるのですが、その後、その一族の一部が三輪山を奪回して、太陽の女神がいなくなった三輪山で、大物主神をお祀りしてゆきます。それが、大部主→大友主と続く💛の家系で【三輪氏】になります。一方、大賀茂津身❤の子孫たちは、山城に残ってそちらを開拓し、後に平安遷都を実行します。【賀茂氏】ですね。この系図ですと、大鴨積命は大田田根子命の孫の代ですので、第一東征と第二次東征の時間軸と合致するのですね。そして、何故大神神社の社家(三輪氏)💛と賀茂神社の社家(賀茂氏)❤に分かれたのかも綺麗に辻褄が合うのです。【八咫烏】と言われている【賀茂建角身】は、賀茂神社の御由緒と出雲の伝承、賀茂家の系図などを総合的に合わせてゆくと、3人の人物が浮かんで来ます。①玉依姫の父【三島溝杭耳】賀茂神社の御由緒により、初代大王村雲の時代にヤマト政権創設を導いた八咫烏。②【大田田根子】第一次東征の神武天皇・ウマシマジを導いて磐余入りさせた八咫烏③【大賀茂津身】第二次東征時にヤマトを出て都を山城へ導いた八咫烏と、3つの時代の3人の人物が重ねられていると思われます。正史の記述も1人のキャラクターに何人もの実在の人物が重ねられているものが多いです。幾重にも重なった深い意味が、和歌を詠むように描かれているのが我が国の歴史書です。賀茂氏についてはまだまだ重要な歴史が沢山含まれています。発信、ありがとうございます♪
いつも素敵なコメントをありがとうございます。ミゾクイミミも娘を出雲の王、事代主命に嫁がせたのですから、なかなかの神様ですね。いつもながら思うのですが、大田田根子の存在はとても大きいですね。伊勢の猿田彦神社にも大田命が祀られる。陰の力は必要だったのですね。いつもありがとうございます😊.みなさま、素敵なコメントを是非読んでください🌈
@mayumi330🌻様いつもながら、素晴らしいご考察ですね。口伝の本を読み比べてみないと見えてこない深い考察ですね。有難うございます。
@ さまこちらこそ、いつもありがとうございます😊感謝です🧚♀️
@@irisyell6626さま大田田根子はとてつもない存在だと思います。権力闘争で求心力を失っていた磯城王朝を傍系でありながら民をまとめ、物部を受け入れ、新たな次元で繁栄させていった実質上の大王であったと思います。系譜上、皇統に入れられないので、臣下として描いていますが、その血統や登場の仕方、その子孫に至るまで、とても丁寧に記されています。それだけ大きな影響を与えた人であり、【八咫烏】として語り継がれた意味も納得です。
@mayumi3300 さまいつもありがとうございます😊
賀茂氏の始まりのお話ありがとうございます。摂津国三島 大和国御所 そして山城国京都…出雲の口伝だけでは捉えきれない壮大な足跡です。神社を巡り出したころ御所へ何度もいきました。 磐座や蜘蛛塚 神南備に心動かされました。ご覧の方々にも是非お参りしていただきたいお宮さんばかりです。今日の礎を成した氏族の足跡です。巨椋池が出てきてましたね!シンクロしてたんですね!共有出来る御利益を感じました。
こんにちは!体調大丈夫ですか?そうです!びっくりしました。巨椋池。シンクロですね😊一言主神社の蜘蛛塚を見ると悲しくなります。いつも感謝です!ありがとうございます😊🌸
たけつのみとはロ伝では誰になるのでしょうか? あじすきは年代があわないですよね。
登美家には、建津乃身(建角身、大賀茂津身)という2世紀を生きた当主がいたと匂わせています。建津乃身です。ありがとうございます😊
いやー!よくまとめられましたね!素晴らしい👍🎉
ありがとうございます😊
明けましておめでとうございます。
奈良、京都へ行きたくなる動画でした。
先日鳥取、島根と行ってきましたが何回も何回もここの動画見てから行きました。
大変参考になりました。
出雲への愛を多大に感じる上、為になる動画いつもありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。
明けましておめでとうございます。
そんな風に言っていただくと、大変うれしいです😊
こちらこそ、よろしくお願いします🌸
本年もよろしくお願い申し上げます。
かも氏....深いですよね...沼ってます^^
本年もよろしくお願い申しあげます😊
カモ族の追っかけをしてしまいました💦
なぜなら、切なさを感じたからです。
いつもありがとうございます😊嬉しいです🌸
知らず知らずに導かれ、金剛山麓の美しくも大らかな氣に満ちた神社に昨年末参拝しました✨拝見してそうだったのかと染み染み思いを馳せます🙏✨
今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます🤲
金剛山麓の神社、いいですね😊
今年もよろしくお願いします🌸
明けましておめでとうございます。益々国津神の御神徳が強くなってきていますね。ありがとうございます。
明けましておめでとうございます。
良い運気をもたらしますね😊
いつもありがとうございます😊嬉しいです🌸
高天原からの眺めは天上界からの神々の視界のような錯覚を覚えます、、、
そのような場所なので、後からつけられた地名かと思っていましたが、元からそうだったんですね、、、、
高鴨神社から山側は空気感が違います。
あの辺りに住まわれていた出雲族の人々は、
どれだけ穏やかに暮らしていたのだろうと想像して、外は寒いですがホクホクしています、、、いつもありがとう!
共感です!
高天彦神社参拝に参ったときに、その眺めをおっしゃるとおり、天上界からの神々の視界のような錯覚を覚えました。
空気観違いますね😊🌸
穏やかな世界です。天の国を思いました。
いつもありがとうございます😊嬉しいです🌸
@@irisyell6626 さま
こちらこそありがとうございます!!
大変勉強になりました。もっと、動画をUPしていただければ有難いです。ありがとうございました。
頑張ります!
ありがとうございます😊
お待ちしております。
@@akisasaki2200 様
😊
🙏🙏🙏
こんばんは!
嬉しいです!😊🌸😊🌸
寒い時です。お体にお気を付けください。
ありがとうございます!
@ さん、
いつも素敵な投稿を有難うございます。
あけましておめでとうございます。
賀茂御祖神社ありがとうございます😊
明けましておめでとうございます!
今年もよろしくお願いします🌸
ヤタガラスですね😊
賀茂家の歴史こそ
日本史の縮図となります。
雄大なトキの流れを
ありがとうございます♪
そうなんです。
戦争によって人々が入り交じり、
溢れ出て、
新しい時代が始まります。
出雲口伝でも、
著者により微妙にお話が違います。
この謎解きをするのも
また、楽しい時間です。
いつ、ヤマトから賀茂氏が
山城に移ったか…
【出雲王国と天皇政権】は
元々、【出雲王国とヤマト政権】
と言う題で
富士林雅樹氏の著作でしたが、
おそらく、
斎木雲州氏の後継者でしょうね。
この富士林さんの本ですと、
【大田田根子】と
【大賀茂津身】が同世代のように
記されています。
山城へ移ったのは
この大賀茂津身で、
このお説ですと、
第一物部東征時に移ったように
見れるのですが、
勝友彦氏の
【魏志和国の都】によりますと、
大賀茂津身は第二次東征時の
登美家(賀茂家)の当主なんですね。
3世紀です。
第二次東征につきましては、
この【魏志和国の都】に
詳細な記録が描かれています。
ここに矛盾があったので、
探っていったのですが、
この部分は勝さんの方が
筋が通る気がします。
何故なら、
三輪家に残された系図と
勝さんの記述が合致するからです。
クシヒカタ以前を書きますと、
説明が長くなりますので、
今回はクシヒカタから
記述します。
天日方奇日方命
|
飯肩巣見命
|
建甕槌命
|
豊御気主命
|
大御気主命
|
阿田賀田須命
建飯賀田須命
|
大田田根子命💜
|
豊御気持命
|
大鴨積命❤→賀茂家
大部主命💛
|
大友主命💛→三輪家
となります。
勝氏によれば、
第二次東征で
磯城王朝は三輪山を占領され、
大王家も登美家も太陽の姫巫女も
ヤマトを追い出されます。
登美家の当主であった
大賀茂津身は山城へ逃れるのですが、
その後、その一族の一部が
三輪山を奪回して、
太陽の女神がいなくなった三輪山で、
大物主神をお祀りしてゆきます。
それが、
大部主→大友主と続く
💛の家系で【三輪氏】になります。
一方、大賀茂津身❤の子孫たちは、
山城に残ってそちらを開拓し、
後に平安遷都を実行します。
【賀茂氏】ですね。
この系図ですと、
大鴨積命は
大田田根子命の孫の代ですので、
第一東征と第二次東征の
時間軸と合致するのですね。
そして、何故
大神神社の社家(三輪氏)💛と
賀茂神社の社家(賀茂氏)❤に
分かれたのかも
綺麗に辻褄が合うのです。
【八咫烏】と言われている
【賀茂建角身】は、
賀茂神社の御由緒と
出雲の伝承、
賀茂家の系図などを
総合的に合わせてゆくと、
3人の人物が浮かんで来ます。
①玉依姫の父【三島溝杭耳】
賀茂神社の御由緒により、
初代大王村雲の時代に
ヤマト政権創設を導いた八咫烏。
②【大田田根子】
第一次東征の神武天皇・
ウマシマジを導いて
磐余入りさせた八咫烏
③【大賀茂津身】
第二次東征時にヤマトを出て
都を山城へ導いた八咫烏
と、3つの時代の
3人の人物が重ねられていると
思われます。
正史の記述も
1人のキャラクターに
何人もの実在の人物が
重ねられているものが多いです。
幾重にも重なった深い意味が、
和歌を詠むように描かれているのが
我が国の歴史書です。
賀茂氏については
まだまだ重要な歴史が
沢山含まれています。
発信、ありがとうございます♪
いつも素敵なコメントをありがとうございます。
ミゾクイミミも娘を出雲の王、事代主命に嫁がせたのですから、なかなかの神様ですね。
いつもながら思うのですが、大田田根子の存在はとても大きいですね。
伊勢の猿田彦神社にも大田命が祀られる。
陰の力は必要だったのですね。
いつもありがとうございます😊.
みなさま、素敵なコメントを是非読んでください🌈
@mayumi330🌻様
いつもながら、素晴らしいご考察ですね。
口伝の本を読み比べてみないと見えてこない深い考察ですね。
有難うございます。
@ さま
こちらこそ、いつもありがとうございます😊
感謝です🧚♀️
@@irisyell6626さま
大田田根子は
とてつもない存在だと思います。
権力闘争で
求心力を失っていた磯城王朝を
傍系でありながら民をまとめ、
物部を受け入れ、
新たな次元で繁栄させていった
実質上の大王であったと思います。
系譜上、皇統に入れられないので、
臣下として描いていますが、
その血統や登場の仕方、
その子孫に至るまで、
とても丁寧に記されています。
それだけ大きな影響を
与えた人であり、
【八咫烏】として
語り継がれた意味も納得です。
@mayumi3300 さま
いつもありがとうございます😊
賀茂氏の始まりのお話ありがとうございます。
摂津国三島 大和国御所 そして山城国京都…
出雲の口伝だけでは捉えきれない壮大な足跡です。
神社を巡り出したころ御所へ何度もいきました。 磐座や蜘蛛塚 神南備に心動かされました。
ご覧の方々にも是非お参りしていただきたいお宮さんばかりです。
今日の礎を成した氏族の足跡です。
巨椋池が出てきてましたね!シンクロしてたんですね!
共有出来る御利益を感じました。
こんにちは!体調大丈夫ですか?
そうです!びっくりしました。巨椋池。シンクロですね😊
一言主神社の蜘蛛塚を見ると悲しくなります。
いつも感謝です!
ありがとうございます😊🌸
たけつのみとはロ伝では誰になるのでしょうか? あじすきは年代があわないですよね。
登美家には、建津乃身(建角身、大賀茂津身)という2世紀を生きた当主がいたと匂わせています。建津乃身です。
ありがとうございます😊